HOME港区の坂(5)麻布台・芝公園方面

港区の坂(5) 〜 麻布台方面 【18坂】

各坂道の位置はこちら → 地図

雁木坂
(がんぎざか)
【標識(港区設置)の説明】
階段になった坂を一般に雁木坂というが、敷石が直角に組まれていたからともいい、当て字で
岩岐坂とも書く。

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三年坂
(さんねんざか)
【標識(麻布土木事務所)の説明】
いつの頃よりこの坂がそう呼ばれたのか、誰に名づけられたのか、定かではありません。しかし、東京が江戸と呼ばれていた時代には無名ではあります。すでにこの坂がありのち石段になったようです。また、三年坂は別名
三念坂などとも呼ばれ同じ名前の坂がほかに数箇所あります。
 京都清水のそばに同名の坂があります。昔の人が遠くふるさと京都をしのぶ気持ちを坂の名前にこめたとしたらロマンでしょうか。


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稲荷坂[我善坊谷坂]
(いなりざか[がぜんぼうだにざか])
【標識なし】

麻布台1丁目1番と2番の間を西に上る坂道です。「我善坊谷坂」ともいいます。

→ 稲荷坂[我善坊谷坂]のページ

西久保八幡男坂
(にしくぼはちまんおとこざか)
【標識なし】

 西久保八幡神社の正面を登る階段が男坂、左手を廻っていく坂道が女坂です。

下の写真は西久保八幡神社。

 
西久保八幡女坂
(にしくぼはちまんおんなざか)
永井坂
(ながいざか)
【標識(港区設置)の説明】
江戸時代から明治初期にかけて、この付近の地を芝永井町といったことからこの名が付いた。

坂上は東京タワー方向へ向かっています(東京タワーはすぐそば)。坂下は飯倉交差点です。

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土器坂
(かわらげざか)
【標識なし】

港区産業観光ネットワーク「MINATOあらかると」のサイトから引用】
このあたりに土器職人が住んでいたので坂名となった。また、渡辺綱が、ここで買い求めた馬が河原毛で名馬だったからという説もある。


長く緩やかに上る坂です。写真は上部。坂上は飯倉交差点であり、右折すると永井坂、左折すると榎坂になります。
榎坂
(えのきざか)
【標識なし】

港区産業観光ネットワーク「MINATOあらかると」のサイトから引用】
江戸時代より前の古街道を示す榎があったと推定される。坂下から東京タワー方向へ登る永井坂を榎坂と記す資料もある。


写真は飯倉交差点から望んだもの。奥に見える木の生い茂った一角はロシア大使館です。港区には同名の坂があります(興味深いことにアメリカ大使館前)
狸穴坂
(まみあなざか)
【標識(港区設置)の説明】
まみとは雌タヌキ・ムササビまたはアナグマの類で昔その穴が坂下にあったという。採鉱の穴であったという説もある。

坂上部の東側はロシア大使館になります。

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鼬坂
(いたちざか)
【標識なし】

外苑東通りの外務省飯倉公館前から南方に下る坂道です。

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鼠坂
(ねずみざか)
【標識(港区設置)の説明】
細長く狭い道を江戸でねずみ坂と呼ぶふうがあった。一名
鼬(いたち)坂で上は植木坂につながる。

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植木坂
(うえきざか)
【標識(港区設置)の説明】
この付近に植木屋があり菊人形を始めたという。外苑東通りからおりる所という説もある。

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行合坂
(ゆきあいざか)
【標識(港区設置)の説明】
双方から行合う道の坂であるため、行合坂と呼んだと推定されるが、市兵衛町と飯倉町の間であるためか、さだかではない。

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落合坂
(おちあいざか)
【標識(港区設置)の説明】
我善坊谷へ下る坂で、赤坂方面から往来する人が、行きあう位置にあるので、落合坂と呼んだ。位置に別の説もある。

→ 落合坂のページ
永坂
(ながさか)
【標識(港区設置)の説明】
麻布台から十番へ下る長い坂であったためにいう。長坂氏が住んでいたともいうが、その確証はえられていない。
於多福坂
(おたふくざか)
【標識(港区設置)の説明】
坂の傾斜が途中でいったんゆるやかになってまた下ったので、顔のまん中の低いお多福面のようだと名づけられた。

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潮見坂
(しおみざか)
【標識なし】

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鳥居坂
(とりいざか)
【標識(港区設置)の説明】
江戸時代なかばまで坂の東側に大名鳥居家の屋敷があった。元禄年間(一六八八〜一七〇三)ごろ開かれた道である。

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