HOME港区の坂(2)赤坂方面(その2)>南部坂

南部坂(なんぶざか)

 別  名: 難歩坂
 所在地: 港区赤坂6丁目と六本木2丁目の境界  ⇒ 地図

@ 坂下から。右にある標識は傾斜が16%であると示している。

A 同じく坂下から。

B 少し上ったところから見上げる。右手の石製の標識が見える。

C Bから少し上ったところから見上げる。

D Cから少し上った地点から見下ろす。

E Dとほぼ同じ地点から見上げる。

F Eから更に少し上ったところから見下ろす。

G Fとほぼ同じ地点から見上げる。

H Gから更に少し上ったところから見下ろす。

I Hとほぼ同じ地点から見上げる。

J 坂上から。右手に標識が見える。


K 同じく坂上から。1999年撮影。右に見える標識はひとつ前のもとで、位置も現在と異なり、やや坂上にあった。

L 坂下部にある石製の標識。

M 坂上にある標識(港区設置)

N 坂上にてアーク森ビルを望む。

【標識(坂上)】
  
説  明: 江戸時代初期に南部家中屋敷があったためといい、「忠臣蔵」で有名である。のち険しいため難歩坂とも書いた。
  
設置者: 港 区
  
設置日: 平成十二年七月


【この坂について】
 港区赤坂6丁目と六本木2丁目の間を、南からカーブしながら北西へ上る坂道です。坂上部の西側は米国大使館宿舎になっています。

 忠臣蔵において、大石内蔵助が討ち入り前に浅野内匠頭の未亡人瑤泉院を訪れる「南部坂雪の別れ」(ただしフィクション)で有名な坂道です。なお、同名の坂が南麻布にあります。

 坂道の標識は、港区設置のものが坂上に設置されている(写真M)ほか、坂下部に石製の標識が設置されています(写真BL)。後者では坂名が大きな字で刻まれているほか、その右脇に「昭和四十五年十一月八日」、また下には「永冨太道建立」と小さく彫られています(さらにその左下にも字が彫られていますが読めません)。

【写真撮影日】 1999年(K)、2002年7月26日(BE)、2007年6月2日(JLMN)、2007年6月17日(左記以外)
【この坂の本サイト掲載日】 2002年8月14日
【このページの作成日】    2007年6月18日(2010年7月25日写真JKを入れ替える等の一部修正)