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滝の坂(たきのさか)

所在地: 新宿区榎町、弁天町の境界 → 地図

@ 坂下の早稲田通り沿いから

A @から20mほど登った所から見上げる

B Aからさらに10mほど登った所から見上げる

C 坂上から

D 坂上から。ここから右へ入ると大願寺がある。 E 坂上から


【この坂について】
 
 早稲田通り沿いから、新宿区榎町40番と同41番の間(写真@)を、南へ向かい登る坂道です。坂下部以外は榎町と弁天町の境界になります。坂上東側には大願寺があります。

 この坂道について、岡崎『今昔東京の坂』は、
 早稲田通り、榎木町四〇、食料品店と八百屋の間を南に上る。坂上、南榎町に浄土宗大願寺がある。寺は『江戸切絵図』(尾張屋版)の若狭小浜藩主酒井若狭守の上屋敷(いまの矢来町一帯)の西端に、御先手組屋敷に囲まれてあった。現在の牛込聖公会あたりまでが酒井屋敷であったが、明治維新後、住宅となった。その西方の窪地は竹藪で、俗に「やぶした」と呼ばれ。邸内の池からの流水が小滝となって流れ落ちていた。その感じがいまもある。坂名はそれに因る。・・・(後略)
と書いています。

 また、石川『江戸東京坂道事典』は、
 早稲田通りから榎町四〇番と四一番の間を南に上る坂で、坂上東に浄土宗大願寺がある。・・・(中略)・・・夏目漱石が、『硝子戸の中』で

 矢来の坂を上って酒井様の火の見櫓を通り越して寺町へ出ようといふ、あの五六町の一筋道に出ようといふ、あの五六町の一筋道などになると、昼でも陰森として、大空が曇ったやうに終始薄暗かった。

と記している矢来の坂というのは現・早稲田通りのことではなく、この滝の坂のことであったといわれ、酒井邸がまだ分譲されない明治初年のこのあたりの情景であった。
と書いています。
 ちなみに、上記石川本の『硝子戸の中』の引用は、文章がおかしいのではないかと思いましたが、どうも誤植(重複)が見られるようです。青空文庫に掲載されている『硝子戸の中』(新字新仮名。ちくま文庫版)では、
それでも矢来の坂を上って酒井様の火の見櫓を通り越して寺町へ出ようという、あの五六町の一筋道などになると、昼でも陰森として、大空が曇ったように始終薄暗かった。
となっています。三船『歩いてみたい東京の坂』p133は、この誤植と見られる引用を、(石川本という)出典を記載することなく石川本のまま転記しているようです。

 この坂の上から道はさらに南へ緩く長く上っていますが、上記本の記述に基づき、大願寺が東にある地点を坂上とします。


 標識は、設置されていません。


【写真撮影日】 2004年10月17日(@ABCDE)

【この坂の本サイト掲載日】 2004年10月17日
【このページの作成日】    2004年10月30日