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品川区の坂(1) 〜 五反田・大崎方面 【7坂】

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相生坂
(あいおいざか)
【標識の説明】
相生坂の名称は、古く江戸時代から呼ばれていた。その由来は、御殿山方面から宝塔寺(東五反田一丁目)前を通る道と、この坂のある中原街道が、雉子神社(東五反田一丁目)の手前で合流していたことにもとずくとされる。昔は急坂で険しいものであったが、だんだんと道路整備がされて現在のようになった。別名を
雉子ノ宮坂といもいう。
八ツ山の坂
(やつやまのさか)
【標識の説明】
このあたりは武蔵野台地の突端にあたる丘陵で、海岸に突き出た州が八つあったところから八ツ山と呼ばれた。この地にある坂のために、いつしか八ツ山の坂という名がつけられた。この道は、もと三間道路と呼ばれ、道幅は三間(約六メートル)で、あたりには人家も少なく、夜はさびしい通りであったという。


いわば「ソニー村」の真中を通る坂です。
御殿山の坂
(ごてんやまのさか)
【標識の説明】
このあたりは、江戸時代に将軍が鷹狩の折りに休んだ品川御殿があった場所で、御殿山と呼ばれている。坂の名称もそこからつけられたものである。
 もとは急な坂であったが、何回かの修理でゆるやかになった。
百反坂
(ひゃくたんさか)
【標識の説明】
この坂は一般に「ひゃくたんさか」とよばれているが、古くは「ひゃくだんさか」とよばれている。
 昔この坂は階段であったため百段とよばれていたものが、のちに路面が平坦になり、名称だけが百反となって残ったものといわれている。


緩やかですが長い長い坂です。写真は坂下です。
峰原坂
(みねはらさか)
【標識の説明】
峰原とは谷山村(ややまむら)時代からこのあたり一帯の地名で、現在の大崎三・四丁目付近にあたり、坂の名はこれをとったものである。当時、峰原は畑地帯であった。
桐ヶ谷坂
(きりがやざか)
【標識なし】
禿坂
(かむろざか)
【標識(東京都品川区教育委員会設置)の説明】
禿坂は河童坂の意味であるが、延宝七年白井権八が品川で処刑され、そのあとを慕って遊女小紫が自害した時、その待女(かむろ)もあとを追って、桐ヶ谷の二ツ池に身をなげたという。その後この一帯の丘陵をかむろ山、これに通じるこの坂を禿坂と今によび伝えている。