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綱坂(つなざか)

  所在地: 港区三田二丁目 → 地図

@坂下から。右側は慶応義塾大学、左側の壁の向こうは綱町三井倶楽部である。

A @から少し登ったところから見上げる。


B 坂下の標識手前から。

C 同じく坂下の標識の手前から。1999年撮影。標識が古い。

D 同じく坂下の標識手前から。

E Bから少し登ったところから見上げる

F Eから更に少し登ったところから見下ろす。

G Fから更に少し登ったところから見下ろす。

H Gとほぼ同じ地点から坂上部を見上げる。

I 坂上から。

J 坂上の標識の手前から。左に標識が見える。

K 坂上の標識の脇から。左に標識が見える。

L 坂下にある標識(港区設置)
M 坂上にある標識(港区設置)

【標 識】
  説  明: 羅生門の鬼退治で有名な平安時代の武士渡辺綱(わたなべのつな)が付近に生まれたという伝説による。
  設置者: 港 区
  設置日: 平成十二年二月

【この坂について】
 慶応義塾大学キャンパスの西側を、南から北に登る坂道です。坂の西側は綱町三井倶楽部、坂上の東側は駐日イタリア大使館です。

 標識は港区設置のものが坂上と坂下にそれぞれ一本立っています。

 坂名の由来となった
渡辺綱(わたなべのつな)(953〜1025)は、坂田公時(金時、「足柄山の金太郎」)、平(碓井)貞光、平(卜部)季武とならぶ源頼光の「四天王」の一人。嵯峨源氏から出て、摂津渡辺に移り渡辺姓を名乗ったそうです。頼光に従って、京都洛北の市原野で鬼同丸を、大江山で酒呑童子を殺し、また羅生門の鬼を退治したという伝説があります。一条戻橋で美女と出会うがこの正体が茨木童子と見破って、この片腕を切り落として持ち帰ったが、伯母に化けて館に現れた鬼に奪い返された、という伝説もあるそうです。
 坂名は、この付近に渡辺綱が産湯をつかった井戸があったと言い伝えられたことに由来します。この一帯も綱町と呼ばれます(戦前は芝区三田綱町という町名でした)。同じく、渡辺綱に名称が由来する坂道である綱の手引坂は、綱坂の北方にあります。

【写真撮影日】 1999年(C)、2002年8月13日(BK)、2003年6月8日(AL)、2007年5月27日(@DEFGHIJM)
【この坂の本サイト掲載日】 2002年8月14日
【このページの作成日】    2007年4月24日、(2007年5月27日写真追加)