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目黒区の坂(2) 〜 上目黒・中目黒方面 【8坂】

各坂道の位置はこちら → 地図

新道坂
(しんどうざか)
【標識の説明(東京都設置)
坂名は別所坂と目切坂の間に新しく開かれたため新道坂と呼ぶようになった。坂上の左右に見えるコンクリートのようへきは三田用水のなごりである。三田用水は寛文四年(1664年)芝白金御殿の池水を引くために玉川上水の分水路としてつくられこの尾根を通って三田芝方面に流れていた。人々は農業、工業、雑用水として利用したが、昭和五十年にその流れを止め、約三百年にわたる歴史を閉じた。線路ぎわの狭い坂が旧道である。


横関英一『続江戸の坂東京の坂』は「目黒の新道坂を正す」において、新道坂とは、駒沢通りにある写真左(=写真右で左手に下る坂道)の坂でなく、同じ坂上から分かれて東横線沿いに下る坂(写真右で右手に下る坂道)のことである旨主張しています。
別所坂
(べっしょざか)
【標識の説明(目黒区教育委員会設置)
この近くに別所という地名があったため別所坂と呼ばれるようになったという。「別所」とはふつう新しく開いた土地のことを意味するが、目黒では突き当たったところ、行き止まりのことを別所といっていたことから坂名になったともいう。
半兵衛坂
(はんべいざか)
【標識の説明(目黒区教育委員会設置)】
江戸時代、この辺りに清水半兵衛を代々名乗る旧家があったため、半兵衛坂と呼ぶようになった。尚、この道路は昭和十五年の幻の東京オリンピックの際に整備されたので、通称「オリンピック道路」とも呼ばれる。


→ 半兵衛坂のページ

平成21年になって標識が復活しました。
小川坂
(おがわざか)
【標識の説明(目黒区教育委員会設置)
かつて、この一帯を「小川」といい、坂下に広がっていた田んぼを「小川田んぼ」と呼んだ。この辺りの旧家小川家が地名の由来といわれる。また、この坂のある道は、鎌倉へ通じる道として中世の頃開かれた鎌倉道であった。

→ 小川坂のページ
稲荷坂
(いなりざか)
【標識の説明(目黒区教育委員会設置)
この近くに刺抜稲荷大明神があるので、稲荷坂と呼ばれるようになった。一説に、この道はかつての鎌倉道の一部とも言われ、目黒でも古い道の一つである。

→ 稲荷坂のページ
謡坂
(うたいざか)
【標識の説明(目黒区教育委員会設置)
昭和の初め頃、この坂の近くに謡の好きな人が住んでいたので、謡坂と呼ぶようになったといわれる。

→ 謡坂のページ
けこぼ坂 【標識の説明(東京都設置)
この道は昔の祐天寺道で祐天寺を経て碑文谷衾に目黒の主要道路であった。かつてこのあたりは急坂であったため斜面を切り開く切通しの工事が何回となく繰り返された。その結果道の両側の土手はますます高くなり風雨にさらされた土手からは赤土のかたまりがざらざらこぼれおちた。この状態を目黒の古い方言で「けこぼ」といい、土地の人々はこの坂を「けこぼ坂」と呼んでいた。

→ けこぼ坂のページ
なべころ坂 【標識の説明(目黒区教育委員会設置)
昔は鍋が転がるほどの急坂であったのでなべころ坂と呼ぶようになったといわれる。また、道に粘土が露出した状態を方言で「なべころ」といったことから坂名になったともいわれる。