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北区の坂(4) 〜 東十条方面 【6坂】

各坂道の位置はこちら → 地図

芝坂 ここの写真をみると、かつては標識(野間坂と同じタイプ)があったことがわかりますが、2002年11月時点(左の写真の撮影時)では撤去されていました。
地蔵坂
(じぞうざか)
【標識(北区教育委員会設置)の説明】
地蔵坂は、この坂の上の三叉路で合流し、ここを通って下る坂道です。現在の中十条二ー十一ー一地先付近までが崖で、坂道は崖の手前の地蔵同から続いていましたので地蔵坂と呼ばれていました。現在の地蔵堂は、東十条駅の開設にともなう跨線橋の設置や道路の拡幅により今の位置に移転したものです。

東十条駅のすぐ西側にあり、蛇行しながら登る坂道です。

地蔵堂です。この堂の裏の下に地蔵坂とその標識があり、坂道はそこからさらに登っています。
石神井坂
(しゃくじいざか)
【標識なし】
馬坂
(うまさか)
【標識(東京都設置)の説明】
昔は低地の村村から板橋宿へ通じる急坂で、坂下に荒沢不動の池があった。この道は姥ヶ橋地蔵尊の付近で王子へ通じる稲荷道と交差し、御成橋を経て板橋宿に至る。坂の名は豊島村馬場の「馬」に関係があるように思われるが、坂の地形が馬の背に似ていたからともいう。以前は農家の耕地への往復にも役立っていたが、付近の都市化と環状七号線の開設で役割りも形状も著しく変化してしまった。
 旧道は平和橋手前を右に下っていた。

環状七号線にある坂道です。左の写真奥に歩道橋が見えますが、ここが坂上の馬坂交差点です。
 
上の標識の説明で「旧道は平和橋手前を右に下っていた」とありますが、右の写真は、この平和橋手前を下る馬坂名残の階段です。
清水坂
(しみずざか)
【標識(東京都設置)の説明】
十条の台地から稲付の低地に下る岩槻街道(旧日光御成道)の坂である。昔はけわしく長い坂道だったので十条の長坂などとも呼ばれた。切り通しの崖からはたえず清水が湧き出ていたので、清水坂の名が付けられた。現在は崖が削りとられて、その跡に児童公園が設けられているが、そこは貝塚遺跡でもあった。

京浜東北線の線路にほぼ並行しながら北から南へ登る長い坂道です。
写真は坂の中ほどから坂上を臨んだもの。この右手前に児童公園(貝塚遺跡)があります。
游鯉園の坂
(ゆうりえんのさか)
【標識(北区教育委員会設置)の説明】
十条仲原の台地から稲付川(現在は暗渠)に下る坂です。大正から戦前まで、坂下の川下に游鯉園という川魚料亭があり、坂名は、これに因んだ俗称です。明治の頃、坂下に水車小屋があって、旧稲付村(ほぼ、現在の赤羽西、西が丘、赤羽南にあたります)の農家が利用していました。

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