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文京区の坂(5) 〜 弥生・根津方面 【6坂】

各坂道の位置はこちら → 地図

  無縁坂
(むえんざか)
【標識の説明】
「御府内備考」に、「称仰院前通りより本郷筋へ往来の坂にて、往古 坂上に無縁寺有之候に付 右様相唱候旨申伝・・・」とある。
 団子坂(汐見坂とも)に住んだ、森鴎外の作品「雁」の主人公岡田青年の散歩道ということで、多くの人びとに親しまれる坂となった。その「雁」に次のような一節がある。
 「岡田の日々の散歩は大抵道筋が極まっていた。寂しい無縁坂を降りて、藍染川のお歯黒のような水の流れ込む不忍の池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。・・・」
 坂の南側は江戸時代四天王の一人・康政を祖とする榊原式部大輔の中屋敷であった。坂を下ると不忍の池である。
  不忍の 池の面にふる春雨に
    湯島の台は 今日も見えぬかも
       岡 麓
(本名三郎:旧本郷金助町生まれ1877〜1951・
                墓は向丘二丁目高林寺)




坂の途中の道路にはこんな標示もありました。

暗闇坂
(くらやみざか)
【標識の説明】
江戸時代は、加賀屋敷北裏側と片側寺町の間の坂で、樹木の生い茂った薄暗い寂しい坂であったのであろう。
 江戸の庶民は、単純明快にこのような坂を暗闇坂と名づけた。23区内で同名の坂は12か所ほどある。区内では、白山5丁目の京華女子高校の裏側にもある。
 この坂の東側鹿野氏邸(弥生2-4-1)の塀に、挿絵画家、高畠華宵の記念碑がはめこまれている。華宵は、晩年鹿野氏の行為でこの邸内で療養中、昭和41年7月に亡くなった。大正から昭和にかけて、優艶で可憐な画風で若い人たちの大きな共感を呼んだ。

緩やかで相当長い坂道です(坂上はある程度の傾斜があります)。写真左で、坂の左側は東京大学構内で、坂の右側には竹久夢路美術館がありました。
弥生坂
(やよいざか)
【標識の説明】
かつてこのあたり一帯は「向ヶ岡弥生町」といわれていた。元和年間(1615〜24)の頃から御三家水戸藩の屋敷(現東大農学部、地震研究所)であった。隣接して、小笠原信濃守の屋敷があり、南隣は加賀藩前だけの屋敷(現東大)であった。
 明治2年(1869)これらの地は明治政府に公収されて大学用地になった。明治5年(1872)には、この周辺に町○が開かれ、向ヶ岡弥生町と名づけられた。その頃、新しい坂道がつけられ、町の名をとって弥生坂と呼ばれた。明治の新坂で、また坂下に幕府鉄砲組の射撃場があったので
鉄砲坂ともいわれた。
 弥生とは、水戸徳川斉昭候が、文政11年(1828)3月(弥生)にこのあたりの景色を詠んだ歌碑を、屋敷内に建てたからという。
  名にしおふ張るに向ふが岡なれば 
     世にたぐひなき花の影かな
                        徳川 斉昭

根津から東京大学方向に上っていく坂です。写真の坂道の左側は東京大学の敷地です。
異人坂
(いじんざか)
【標識の説明】
 坂上の地に、明治時代東京大学のお雇い外国人教師の官舎があった。ここに住む外国人は、この坂を通って、不忍池や上野公園を散策した。当時は外国人が珍しかったことも手伝って、誰いうとなく、外国人が多く上り下りする坂なので、異人坂と呼ぶようになった。
 外国人の中には、有名なベルツ(ドイツ人)がいた。明治九年(1876)ベルツは東京医学校の教師として来日し、日本の医学の発展に貢献した。ベルツは不忍池を愛し、日本の自然を愛した。
 異人坂を下りきった東側に、明治25年(1892)高林レンズ工場が建てられた。今の2丁目13番地付近の地である。経営者は朝倉松五郎で、日本のレンズ工業の生みの親である。
お化け階段 【標識なし】
新坂[権現坂、S坂]
(しんざか、ごんげんざか、えすざか)
【標識の説明】
本郷通りから、根津谷への便を考えてつくられた新しい坂のため、新坂と呼んだ。また、根津権現(根津神社の旧称)の表門に下る坂なので権現坂ともいわれる。
 森鴎外の小説「青年」(明治43年作)に、「純一は権現前の坂の方に向いて歩き出した。・・・右は高等学校(注・旧制第一高等学校)の外囲、左は出来たばかりの会堂(注・教会堂は今もある)で、・・・坂の上に出た。地図では知れないが、割合に幅の広い此坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲してついている。・・・」とある。
 旧制第一高等学校の生徒たちが、この小説「青年」を読み、好んでこの坂をS坂と読んだ。したがってS坂の名は近く観測楼に住んだ森鴎外の命名である。
 根津神社現社殿の造営は宝永3年(1706)である。五代将軍徳川綱吉が、綱豊(六代将軍家宣)を世継ぎとしたとき、その産土神として、団子坂北の元根津から、遷座したものである。

写真左(S字の中央部分)において坂の右側が根津神社の境内。
写真右は坂下。根津神社の入り口です。