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金剛寺坂(こんごうじざか)

所在地: 文京区春日2丁目4番と5番の間から21/20番と16/17番の間へ上る → 地図 

@ 坂下の水道通り(巻石通り)から。

A 坂下から少し上った所から見上げる。2002年撮影。

B Aから少し上った所から見下ろす。

C Bとほぼ同じ所から見上げる。橋の下は東京メトロ丸ノ内線。

D BCから少し上った所から見下ろす。

E Dとほぼ同じ所から見上げる。

F DEから少し上った所から見上げる。2002年撮影。左に標識が見える。ここを右方に行くと永井荷風の生家があった地がある。

G Fから少し上った所から見上げる。左に標識が見える。


H Gから少し上った所から見下ろす。右に標識が見える。

I Hとほぼ同じ所から見上げる。

J HIから少し上った所から見下ろす。

K Jとほぼ同じ所から見上げる。

L JKから少し上った所から見下ろす。

M Lとほぼ同じ所から見上げる。

N LMから少し上った地点から見下ろす。

O Nとほぼ同じ所から見下ろす。2002年撮影。

P NOとほぼ同じ所から見上げる。

Q 坂上から。


S Rの標識の説明板。
R 坂の半ばにある標識。東京都文京区教育委員会設置。

【標 識】
説  明
  江戸時代、この坂の西側、金富小学校寄りに金剛寺という禅寺があった。 
 この寺のわきにある坂道なので、この名がついた。小石川台地から、神田上水が流れていた水道通り(巻石通り)に下る坂の一つである。
 この坂の東寄り(現・春日2-20-25あたり)で、明治12年に生まれ、少年時代をすごした永井荷風は、当時の「黒田小学校」(現在の旧第五中学校のある所、昭和20年廃校)に、この坂を通ってかよっていた。
 荷風は、昭和16年ひさしぶりにこの坂を訪ずれ、むかしを懐しんでいる様子を日記に記している。

設置者:
 東京都文京区教育委員会
設置日 平成元年3月


【この坂について】
 
 水道通り(巻石通り、神田上水跡)から、文京区春日2丁目4番と5番の間を北へ上り、東京メトロ丸ノ内線の上を渡る橋脚を越えて、同21/20番と16/17番の間へ至る坂道です。

 標識は、坂道の半ばに東京都文京区教育委員会設置のものが立っています(写真RS)。

【写真撮影日】 2002年7月20日(AFO)、2010年10月2日(左記以外)

【この坂の本サイト掲載日】 2002年8月14日
【このページの作成日】    2011年4月29日